施設概要

施設概要

施設の名称 児童養護施設はなこみち
経営法人名 彩の国ふかや福祉会
開所年月日 平成19年9月1日
定員 45名(ショートステイ3名)
規模 敷地(はなこみち)    2972m2
借用地(食育農園)    1412m2
合計面積    4384m2
建物

鉄骨造二階建(一部三階)1498.89m2   木造二階建て 355.66m2

主な設備等 事務室、調理室、医務室、静養室、相談室、浴室、便所、洗面所、心理療法室、多目的ホール、居間兼食堂、倉庫、宿直室、児童居室、幼児保育室、地域交流センター、自活訓練棟
職員 施設長、家庭支援専門相談員、里親支援専門相談員、臨床心理士、児童指導員、保育士、栄養士、調理師、事務員等

代表あいさつ

 「次世代を支える力を」という先人の願いを実現するため、児童養護施設はなこみちは平成1991日に開所いたしました。

 日本で初めて社会福祉施設「東京養育院」を創設した郷土の偉人青淵渋沢栄一翁は「慈善の意義たる其の根本は、愛の心に外ならぬ。しかしその発動が時機を誤り、節度を失うにおいては、かえって人をそこなうことがある。故にこれをして効果あらしむるには、理知の力によらねばならない。」と訓言を残しています。

 社会福祉法人彩の国ふかや福祉会は、渋沢栄一翁の精神を規範とし、心身ともにたくましい子どもたちの育成と、少子高齢化を支える一助となるべく今後も努力してまいります。

皆様のご協力に心から深く感謝申し上げます。

社会福祉法人 彩の国ふかや福祉会

児童養護施設はなこみち 

施設長 八須 治 


はなこみちの思い

子どもたち 一人ひとりの権利

一人ひとりの願い

一人ひとりの生活

はなこみちは、すべてを尊重しながら

支援します

苦しいときは一緒に考え 

楽しいときは一緒に笑い

疲れたときには一息入れながら

毎日を楽しく そして 大切に

生きる喜びを分かち合いたい

45人の子どもたちと一緒につくる

温もりのある我が家

これが「はなこみちの想い」です

はなこみちの開発経過

 発起人 故・八須茂治は、八須只三郎・ふさの長男として 大正4年12月2日、埼玉県大里郡深谷町大字西大沼字花小路92番地で生まれました。

 先の大戦では、海軍軍人として、樺太やカムチャッカ半島と、北の守りに従軍、アッツ島の玉砕を目の前に終戦を迎えました。復員後は、農業に従事しながらも、昭和43年、曲田市営住宅(現在の錦町団地)への協力、昭和45年には、都市計画法に基づく、都市計画決定に貢献しました。

 その後、急激な都市化が進む中、地域活動を通じ、次世代を支える力を育むことこそが急務と、児童福祉施設の整備に向け行動を起こしました。

 昭和48年7月31日、農用地の除外申請を提出、除外を受けたもののオイルショックにより、物価が急騰、施設づくりを断念せざるを得ませんでした。

 今、明治、昭和に続く、平成の大合併という記念すべき年、八須茂治の願いに共感する人たちの手で、児童養護施設「はなこみち」は平成19年9月1日開所いたしました。

渋沢栄一翁の生き方に学ぶ

命のある限り「社会福祉」への思い

 渋沢栄一は、90才になった12月、風邪をこじらせて寝ていた。そのとき、20名程の人が面会を求めてきた。それは、方面委員(今の民生委員)と社会福祉事業家の代表であった。栄一は、顔ぶれを聞いて、どうしても会うと言い出したそうです。医師や家族が止めても聞かなかった。そこで、5分と時間を決めた上、来訪者を控え室に通した。栄一は、熱のある身に和服に着替え、白い髭の伸びたままの顔を客の前に現した。

 その用件は、「今、寒さと餓えに苦しむ窮民が20万人もいるので、政府は救貧法という法律を定めたが、予算がないので一向に救護ができない。是非、栄一の力を貸して欲しい。そして法律に基づいた事業を実施して欲しい」ということであった。

 栄一は、深くうなずき「私は、この年になるまで、及ばずながら社会事業に尽くしてきたつもりです。みなさんのお気持ちは実に良くわかります。老いぼれた身体で、どれだけのお役に立つか知れませんが、できるだけのことはいたしましょう。それが、私に与えられた義務だと信じます。」この一言を聞いて、来訪者の目には涙が光りました。

 それから栄一は、すぐ自動車の仕度を言いつけ、大蔵大臣と内務大臣に電話をかけさせました。両大臣とも病中の老人を気遣って自分のほうからうかがいますといってくれたのを、当方からお願いする用件ですから、当方から参上いたしますと応えさせました。

 「もし、これがもとで私が死んでも、20万人の不幸な人たちが救われるとなれば、それこそ本望じゃありませんか。」

 主治医も家族も返す言葉がなかったということです。